(画像はThe Spaghetti Incidentのジャケットより引用)

 

ハードロック界に彗星のごとく現れ 瞬く間に世界のトップに君臨したモンスターバンド!
映画<ターミネーター2>の主題歌でこのバンドを知った人も多いのではないでしょうか。
アクセルのクレイジーな かん高いヴォーカルと、低音フレーズで躍動感のあるスラッシュのギターが最高にカッコいい!

 

こんなに人気があるのですが実は意外とキャッチーな曲は少ないです。
初めて聴くと「そんなに良い曲か・・?」
と思ってしまうのですが、何回か聴いてるうちに
「あれ・・何かイイぞこれ・・」
となっていき、ハマりだすと今度は逆に麻薬のように毎日聴きたくなる常習性を秘めていますw

 

ただ、とてもトラブルの多いバンドでもあります(^^;)
ヴォーカルのアクセルが破天荒で客席に飛び込んだり、メンバーが脱退して結成当時のメンバーがアクセル以外1人もいなくなったり、新作アルバムが出来るまでに17年かかったり、ライブは2時間遅れて開始なんてざらですw
それでも世界は彼らの音楽に魅了されています。

 

ハードな曲でも、バラード曲でもガンズの曲って常に哀愁がただよっているんですよね・・。
この哀愁が聴く人の胸を打つのだと思います。
間違いなく世界の音楽史に残る偉大なバンドだと思います。

 

Discgraphy(主な作品)
Member(メンバー)
A Brief History(簡単な来歴)

Blog(ブログ)

Discgraphy(主な作品)

主な作品 発売年

Appetite For Destruction(アペタイト・フォー・ディストラクション)

1987年

<GNR Lies(GNRライズ)>

1988年

<Use Your Illusion T(ユーズ・ユア・イリュージョン T)>

1991年

<Use Your Illusion U(ユーズ・ユア・イリュージョン U)>

1991年

<The Spaghetti Incident(ザ・スパゲッティ・インシデント)>

1993年

<Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)>

1994年

<Live Era87-93(ライブ・エラ87-93)>

1999年

<Chinese Democracy(チャイニーズ・デモクラシー)>

2008年

Member(メンバー)

A Brief History(簡単な来歴)

<1983年>
まず始まりはアクセル(Vo)とイジー(Gt)の二人!
この二人が出会い音楽活動を始めるところからGuns N Rosesの壮大なストーリーが始まります。

 

アクセルとイジーはまず<A.X.L>を結成。
その後バンド名を<Rose>そして<Holly Wood Rose>と名前を変えて活動していく。

 

<1984年>
スラッシュ(Gt)、ダフ(Bs)、スティーブン(Dr)の三人が<Road Crew>を結成。

 

<1985年>
Holly Wood Roseが解散となり、ここでいったんアクセルとイジーが別個に活動を始める。

 

その後アクセルはトレイシー・ガンズ(g)のいる<L.A.Guns>と出会い、共に音楽活動をすることに。
そこでアクセルはイジーを呼んでこの新しいバンドに招き入れる。
トレイシーのいるL.A.Gunsと、アクセルとイジーのいたHolly Wood Rose。
この二つの名前を合わせてバンド名をGuns N Rosesと決定。

 

この時点で初めてこの世に<Guns N Roses>という名のバンドが誕生する!

 

しかしこのメンバーは長続きせず、早々にトレイシーら元L.A.Gunsのメンバー3人が脱退。
その空いた穴にRoad Crewのスラッシュ、ダフ、スティーブンが加入。

 

ここで遂にオリジナルメンバーによる<Guns N Roses>が誕生する!!
(左からイジー(Gt)、スティーブン(Dr)、アクセル(Vo)、ダフ(Bs)、スラッシュ(Gt))

(画像は94.5 the buzzさんから引用)

 

<1986年>
自主制作の<Live?!☆@ Like A Suicide>を1万枚限定で発売、カバー曲を入れた4曲入りのEP、これがすぐに完売される。
その後 大手の会社ゲフィンレコードと契約を締結!

 

<1987年>
7月、活動から初のアルバム<Appetite For Destruction(アペタイト・フォー・ディストラクション)>がゲフィンレコードからリリースされる。
遂に全米デビューとなる!

(画像はAppetite For Destructionのジャケットより引用)

 

デビュー後、すぐに爆発的に売れるというわけでもなく しばらく世間の反応は小さかった。
全米アルバムチャートでは最初は182位であった。
その間 他のバンドとツアーをしたり<Motoley Crue(モトリー・クルー)>のサポートとして参加したりしていた。

 

<1988年>
6月、アルバムに収録されていたバラード曲の<Sweet Child O Mine(スウィート・チャイルド・オブ・マイン)>が全米のシングルチャートの76位で初登場する。
じりじりとガンズの存在が世間に認知されてきた。
この頃から徐々にブレイクの予感がしてきたのではないだろうか・・。
活動としては<Aerosmith(エアロスミス)>のサポートとしてツアーに参加していた時期でもある。

 

8月、アルバムのアペタイト・フォー・ディストラクションが全米1位になる!
翌月にはスウィート・チャイルド・オブ・マインがシングル1位!
それ以降も<Welcome To The Jungle(ウェル・カム・トゥ・ザ・ジャングル)><Paradise City(パラダイス・シティ)><Nightrain(ナイトレイン)>などアルバム収録曲から続々とヒットが生まれる!

 

10月、1986年に限定発売された<Live?!☆@ Like A Suicide>に、スタジオで録ったアコースティックソング4曲を足した<GNR Lies(GNRライズ)>をリリース!
全米アルバムチャート66位で初登場。

(画像はGNR Liesのジャケットより引用)

 

<1989年>
5月、<GNRライズ>が全米2位を記録。

 

6月、<GNRライズ>の収録曲のバラード<Patience(ペイシェンス)>が全米シングルチャートで4位を記録。

 

9月、モトリークルーのヴォーカルであるヴィンス・ニールがイジーを殴る。
イジーがヴィンスの妻にちょっかいを出したとか、イジーがヴィンスの妻を侮辱したとか、はたまたヴィンスの妻の方がイジーにちょっかいを出したがイジーが取り合わなかったために侮辱されたと怒り出したとか、様々な噂が流れたが真相はわからないw
ただ、ヴィンスがイジーを殴ったのは事実で これにアクセルも介入し 気が付けばヴィンス VS アクセルに・・・。

 

アクセル「ヴィンス、どれがいい? ピストルかナイフか拳か? 好きなのを選べよ。構わねえから」

 

ヴィンス「TV公開で殴り合いの決闘ってのはどうだ?」

 

と、お互い挑発し合うがアクセルは新作アルバムの作業があるからとフェードアウトし、時間が経過したのでうやむやにw
ヴィンスの方は何年経っても「あの決闘は今でも有効だぜ?」と言っているw

 

10月<The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)>のライブで前座を務める。
ローリング・ストーンズの演奏にアクセルとイジーがゲスト出演という嬉しいサプライズも♪

(写真はPaul Natkinさんのものを引用)

 

演奏曲は<Salt Of The Earth(地の塩)>

(画像はYouTubeより引用)

 

<1990年>
ドラムのスティーブン・アドラーがドラッグ中毒が原因で解雇される、後任として元ザ・カルトのMatt Sorum(マット・ソーラム)が引き継ぐ。
マットと同時期にキーボード奏者Dizzy Reed(ディジー・リード)が加わり6人組のニューラインナップが整う!
(左からダフ(Bs)、ディジー(Key)、スラッシュ(Gt)、イジー(Gt)、左上アクセル(Vo)、右上マット(Dr))

(画像はUse Your Illusionのジャケットより引用)

 

<1991年>
春、<Use Your Illusionワールドツアー>を開始。
これは2年半にも及ぶ大規模な世界ツアーとなる。

(画像はYou Could Be Mineのビデオより引用)
6月、シングル<You Could Be Mine(ユー・クッド・ビー・マイン)>発表。
この曲は世界的大ヒットの<Arnold Alois Schwarzenegger(アーノルド・シュワルツェネッガー)>主演の映画<Terminator2(ターミネーター2)>の主題歌に決定!

 

9月、4年ぶりの待望のアルバム<Use Your Illusion(ユーズ・ユア・イリュージョン)>がリリースされる!!
トータル30曲を<T>と<U>の2枚に分けて同時発売という前代未聞のスタイルで世界に衝撃が走った。

(画像はUse Your Illusionのジャケットより引用)

 

この2枚組が全米アルバムチャート1位、2位を独占!!(しかも初登場で)
いよいよノリにノッてきてる感じである♪
このアルバムから<You Could Be Mine(ユー・クッド・ビー・マイン)>の他 <Knockin On Heavens Door(ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアー(ボブ・ディラン作))> <Dont Cry(ドント・クライ)> <Live and Let Die(リブ・アンド・レット・ダイ(ポール・マッカートニー作))> <November Rain(ノーベンバー・レイン)> <Civil War(シヴィル・ウォー)>など多数のヒットが生まれる。

 

11月、この大ブレイク中にイジーが脱退!
理由はメンバー間の不仲や巨大化したバンドへの危惧、自身のドラッグ問題など言われているが定かではない。
去り際に「バンドのメンバーには戻れないが、曲作りやツアーで困ったことがあったらいつでも呼んでくれ」とアクセルに言い残したという・・。

 

そして彼の後任として元Candy、元Kill For Thrillsのギルビー・クラークが加入。
<Use Your Illusionワールドツアー>の残りをギルビーを入れた新ラインナップで続行する事になる。

 

スラッシュがMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)のアルバム<DANGEROUS(デンジャラス)>に参加。

 

アクセルはニルヴァーナのファンで<Dont Cry(ドント・クライ)>のミュージックビデオでニルヴァーナのロゴ入りの帽子を被るほどであったが、ニルヴァーナのカート・子バーンは逆に「俺たちは、みんながよく知ってるガンズ・アンド・ローゼズみたいな、何のメッセージも持たないバンドとは違う」と中傷。

 

<1992年>
カートの中傷にもめげず、アクセルはガンズのツアーにニルヴァーナを同行しようと何度もカートに話を持ちかけるが、カートは断固拒否。
カートは「クソ!アクセル・ローズからの電話が鳴りやまねぇよ!!」と愚痴っていたという。
残念ながらアクセルの願いは叶わなかった・・。
その後はアクセルもカートを「俗物」とか「カート・コバーンはイカれたジャンキー、その女房(コートニー・ラブ)もイカれたジャンキーだ!」と揶揄するようになった。

 

2月、東京ドームにて来日公演!
最後の日、アクセルは「また戻ってくる!」と言い残す。

 

4月、1991年11月24日に亡くなったクィーンのフレディ・マーキュリーの追悼ライブにガンズが参加。

(画像は生きた伝説より引用)
エルトン・ジョンとアクセルのジョイントも!

 

9月、<MTVビデオ・ミュージック・アワード>にガンズが出席。
ここで兼ねてから確執のあったニルヴァーナとバックステージで鉢合わせになり修羅場となる。
事の発端はカートの嫁のコートニーがアクセルに「ウチの娘のゴッドファーザーになってよ!」と挑発したのが原因とされる。
そこでアクセルがカートに向かって「そのクソ女を黙らせろ!」と叫ぶ。
するとカートは何故かコートニーに向かって「黙れ、クソ女!」と怒鳴ったという・・。
しかもその範囲ではとどまらず、ガンズのダフとニルヴァーナのクリス・ノヴォセリックの両ベーシスト同士も暴言を吐きまくって最悪の現場に・・。
さらにその後、ニルヴァーナが演奏を終えた後ニルヴァーナのドラムのデイヴ・グロールは、マイクで「ハーイ、アクセル!」と繰り返し叫び しつこくアクセルを挑発し、非常にギスギスした祭典となった・・。

 

10月、イジーが自らのバンド<JU JU HOUNDS>を率いて始動、来日公演も果たした。

 

年末、Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)が日本でカウントダウンライブを行った際、スラッシュがゲスト出演。

 

<1993年>
1月、また戻ってくるという約束通り 東京ドームにて来日公演を実現!

 

4月、ギルビーがバイク事故を起こし左手を骨折する!
代役としてイジーが一時的に復帰し、大いに話題になる。

 

7月、91年の春から2年半続いたワールドツアーが終了する。
後にアクセルは「このツアーがオリジナルメンバーの崩壊に繋がった・・」と述べている。

 

10月、ダフがソロ作<Believe In Me(ビリーブ・イン・ミー)>を発表。

 

11月、パンク系を中心としたカヴァーアルバム<The Spaghetti Incident(ザ・スパゲッティ・インシデント)>を発表!
イギー・ポップやスカイライナーズ、デッドボーイズ他多数のバンドをカヴァー。

(画像はThe Spaghetti Incidentのジャケットより引用)
全米4位にチャートインする。

 

フォーブス誌で「世界で最も稼いだロックバンド」で1位になる。

 

<1994年>
アクセル、映画<ハイランダー3>の出演が予定されていたが、遅刻をしまくりスタッフを待たせてばかりいて役を降ろされるw

 

3月、ギルビーがソロアルバム<Pawnshop Guitars(ポーンショップ・ギターズ)>を発表。
アクセルを含めガンズのメンバー全員参加の豪華アルバムとなる。

 

6月、ギブソンの100周年記念イベントにスラッシュが出演。
他にもジョー・ペリーやジミー・ペイジなども出演していた。

 

夏、ギルビー解雇。
後任はアクセルの友人ポール・トバイアスを加入させたのだが、これが全くの独断で これによりスラッシュとダフがアクセルに対して不信感を募らす事となった・・。

 

イベント<ロックの殿堂>で故ジョン・レノンの殿堂入りを称え、<Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)>とアクセルがデュエットで<Come Together(カム・トゥゲザー)>を披露する。

(画像はYouTube動画より引用)
因みにこのパフォーマンスを最後にアクセルは2001年まで公の場に姿を現わすことはなくなる。

 

ハロウィンの夜、アクセル宅でのパーティに招待されたスラッシュが、当のアクセルに避けられキレまくる。

 

12月、映画<Interview with the Vampire(インタビュー・ウィズ・バンパイア)>の主題歌として、ガンズが<The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)>の<Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)>をカヴァーする。

(画像は悪魔を憐れむ歌のジャケットより引用)

 

<1995年>
2月、スラッシュが率いる<Slashs Snakepit(スラッシュズ・スネイクピット)>が、ソロアルバム<Its Five O Clock Somewhere(イッツ・ファイブ・オクロック・サムホエア)>を発表、スラッシュの初のソロアルバムとなる。

 

5月、スネイクピットが来日。
ギルビーも参加する。

 

<1996年>
4月、イジーとダフがL.Aで会い、ジャムりながら10曲ほど作曲。
その後アクセルにも再会しデモテープを渡すが、後日 弁護士から「関与するな」とのFAXを受け取る・・。

 

11月、スラッシュが脱退する。

 

<1997年>
マットが解雇される。
同時期にアクセルが<Guns N Roses>と言うバンド名を法的に獲得する。

 

<1998年>
春、ダフが脱退。
これにてオリジナルメンバーはアクセルだけとなる・・。

 

2月、アクセルが空港で逮捕される。
荷物チェックを拒否した上、検察官に暴言を吐き拳を振り上げたとされているが、実際は荷物に友人からの誕生日プレゼントに貰った高価なガラス工芸品が入っているから、気を付けるように注意しただけとも言われている。

 

<1999年>
7月、Sheryl Crow(シェリル・クロウ)が<Sweet Child O Mine(スウィート・チャイルド・オブ・マイン)>をカヴァーする。
スラッシュがガールフレンドを殴ったとして逮捕される。

 

11月、87年〜93年のライブ音源を収録した<Live Era87-93(ライブ・エラ87-93)>を発表。
オフィシャルでは初のライブアルバムで、2枚組となる。

(画像は製品ジャケットより引用)

 

新曲の<Oh My God(オー・マイ・ゴッド)>が、映画<End Of Days(エンド・オブ・デイズ)>の主題歌になる。

(画像は引用しました)

 

<2001年>
ブラジル・リオデジャネイロで開催されたロック・イン・リオにGuns N Rosesが出演!新曲も披露する。
約7年ぶりのアクセル登場となる。
この演奏中、観客の1人がスラッシュのTシャツを着ていたのが気に食わず、ステージ上からセキュリティに命じてTシャツを取り上げるというハプニングも・・。

 

<2002年>
日本のイベント、サマーソニック02にGuns N Rosesが出演!
大阪ではアクセルが曲中に「トーキョー!」と叫んでしまい、そのあとのMCで「オオサカだったよな。」と謝るシーンがw

 

<2004年>
初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』をリリース。
新曲は全く無いのだが、全米だけで600万枚を超える売り上げを記録する。

 

スラッシュ、ダフ・マッケイガン、マット・ソーラムらが<Velvet Revolver(ベルベット・リヴォルヴァー)>を結成。

 

<2006年>
一部のツアーでイジーが仮復帰し、バンドを助ける。

 

<2008年>
ユニバーサルミュージック公式サイトにて、年内に新アルバムを世界同時リリースすると正式発表。
世界中が半信半疑であったが同年11月23日、本当にリリースされる事になる。

(画像はChinese Democracyのジャケットから引用しました)

 

タイトルは<Chinese Democracy(チャイニーズ・デモクラシー)>
約17年ぶりのニューアルバムとなる。

 

<2009年>
12月、<チャイニーズ・デモクラシー ワールドツアー>で来日。
大阪公演では午後9時過ぎから3時間を超える熱狂ライブとなり、終了時間は次の日の0時12分になった。

 

<2010年>
4月、スラッシュのソロアルバムにアクセルを除いた結成時のオリジナルメンバーが全員参加した。

 

<2012年>
4月、ガンズがロックの殿堂入りを受賞、授賞式当日はアクセルとイジーは欠席。
スラッシュ、ダフ、スティーブン・アドラー、マット・ソーラムの4人が集結。

(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

 

途中のMCでアクセルの名前が挙げられそうになると観客からブーイングが出る。
授賞式では<Sweet Child o Mine(スウィート・チャイルド・オブ・マイン)><Mr. Brownstone(ミスター・ブラウンストーン)><Paradise City(パラダイス・シティ)>の3曲を披露。
この時アクセルの代役はマイルス・ケネディ、イジーの代役は18年ぶりのギルビー・クラークが務めた。

 

<2014年>
当時のベースのトミー・スティンソンが一時離脱、そこでダフが一時復帰する。

 

<2015年>
10月頃から、オリジナルメンバーの復活がささやかれるようになる。

 

<2016年>
1月、スラッシュとダフの復帰が正式に発表される!!

 

4月、スラッシュとダフが復帰した状態で世界ツアー「Not in This Lifetime...(生きてる間には有り得ない・・)」を開始!!
ちなみにこのツアータイトル名は、かつてアクセルがインタビュアーにスラッシュらとのガンズ再結成の可能性を聞かれた時に、「Not in This Lifetime...(生きてる間には有り得ない・・)」と答えたことが由来。
でも、その有り得ない事が起こってしまったんですね〜。

 

しかしツアー直前にLAのクラブでウォーミングアップ・ギグをやった時に、アクセルが足を滑らせ足を骨折するアクシデントが。
幸先の悪いスタートになってしまったが、ツアーは中止にせずアクセルが車椅子でライブパフォーマンスする事になった。

 

アクセルの足骨折を知った、かつてアクセルと険悪な関係だった元ニルヴァーナのデイヴ・グロールが、自分が足を骨折した時に使っていた車椅子をアクセルにプレゼントした。

(引用Photo: GETTY)

 

アクセルは喜んでこの車椅子を回復するまで使用し、デイヴ・グロールにはお礼としてギターを贈っている。
このギターを贈る際にアクセルはスラッシュにギターを選んでもらっている。
やはり最高のギターを選ぶにはスラッシュに相談するのが一番だったのであろう。
そうして贈られたギターは1960年代初期のギブソンES-335 Dot。
デイヴ・グロールは大変喜び「今でも俺が人生で演奏したギターの中で一番最高だ。ものすごく親切で、粋な行為で、心から感謝しているよ」と語っている。

 

夏頃からツアーにスティーブン・アドラーが散発的に客演するシーンも。
昔ながらのファンは喜んだに違いない。

 

AC/DCのボーカル、ブライアン・ジョンソンが喉の不調によりツアーをこなすのが困難になった為、アクセルがシンガーとして助太刀参加する。

 

<2017年>
1月、さいまたスーパーアリーナで日本公演が実現!!
このライブは筆者も行きました!最高だった〜♪

 

<2022年>
11月、さいまたスーパーアリーナで日本公演が実現!!
筆者はこのライブ行くことが出来なかった〜!無念〜!!

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